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生駒山麓から

        生駒山麓から++あちこちの自然などを紹介していきます。

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2011.06
14


21:56
Category : さんぽ_奈良
奈良の「平城山」=「ならやま」や「山陵」=「みささぎ」は、難読地名の代表にされています。

ならけんりつならびょういんからあまがつじのえきをへてへいじょうきゅうしをぬけ・・・
県立奈良病院から近鉄尼辻駅を抜け、秋篠川沿いのサイクリングロード、さらに平城旧跡の西を北上し、山陵町に入ります。
お墓がいっぱい。
F1010007_2.jpg

生駒山が見晴らしできるベスト立地。ただのお山だったら、多分、高級住宅街になっていたのでしょう。
F1010009_2.jpg

佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)は、奈良市北西部、奈良丘陵の南西斜面、古代曾布県主(あがたぬし)が治め、後に大和国添上郡となった佐保川西岸・佐紀の地に所在する古墳時代前期中葉過ぎから後半にかけて営まれたヤマト政権の王墓を多く含む古墳群である。佐紀古墳群とも言う。

「倭(大和)六県〔やまとのむつのあがた〕(=曾布〔そふ〕・山辺〔やまのべ〕県・磯城〔しき〕県・十市〔とおち〕県・高市〔たけち〕県・葛城〔かずらき〕県)」の他、河内県・吉備県・筑紫県など、西日本に多く見られ、倭王権の直轄的性格が強いようです。

❑「〔あがた〕」は、「国」の下位組織として設けられたとする説と、まず「国」に先行して西日本に置かれていたものが、のちに、「国」に再編されたとする説があります。

神功皇后陵へ向かう途中に、
興味をそそられるタテカンです。?? 航空自衛隊奈良基地はこの住宅地から約2km東にあります。
F1010010.jpg F1010012_2.jpg

本古墳群は、佐紀丘陵の南斜面に前期後半から中期、つまり4世紀末から5世紀前半にかけて巨大前方後円墳が営まれた。200mを超す巨大古墳が前期後半には3基、中期には4基みられる。これらは、初期ヤマト政権の王墓である可能性が高い。

(国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。)
Sakitatenami_kohungun_aerial_2.jpg 五社神古墳
宮内庁は現在神功皇后陵に治定している。)

 八幡神社 +福松大神(稲荷社)(神功皇后陵の下の杜)
創建の時期や由緒は不明。


 佐紀石塚山古墳
第13代成務(せいむ)天皇陵に比定されている陵墓)

 佐紀陵山古墳
第11代垂仁(すいにん)天皇の皇后だった日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を埋葬した御陵に治定)


 佐紀高塚古墳
称徳天皇陵と宮内庁が比定した。)


もちろん、歩いて近鉄平城駅から西大寺まで。
F1010019_2.jpg
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