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生駒山麓から

        生駒山麓から++あちこちの自然などを紹介していきます。

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2013.03
06


23:06
Category : 翁と媼_大阪
大阪城です。

快晴に多くの翁と媼が繰り出しました。歩いている人の行列についていけば、「梅林」でした。
やっぱり、大阪の人出は奈良と段違い。

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クリスタルタワー? らしい。
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沿 革
 今では大阪を代表する早春の風物詩として毎年多くの観梅客で賑わうこの梅林の歴史は意外と新しい。 1972(昭和47年)10月、大阪府立北野高校(旧制北野中学)開校100周年事業の一環として同校の同窓会(六稜同窓会)より大阪市に寄贈された22品種、880本の梅の木を元に大阪城二の丸東地区に梅林が造成され、1974年3月に開園したのがその始まりである。開園当初は現・梅林の北西部分0.5haだったが1986年に現在の規模に拡張され(1.7ha)、その時に33品種、1055本と大きく成長。その後は毎年のように移植と補植を繰り返し、今では品種の豊富さにかけては西日本随一といえる規模の梅林になっている(2006年3月現在、97品種、1240本)。
http://www.tktaku.com/Bairin/preface.html


大阪城から天満宮まで歩きました。
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うどん200円 おでん1ケ100円 

うめ~もん市 ふるさと観光・物産展おみやげ 秋田のぬれおかき \300円*4≒\1,100円 (100円おまけ)
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2012.06
29


23:17
Category : 翁と媼_大阪
少し涼しい日が続きましたが、今日は30℃超えの真夏日。
生駒駅から100円バスで生駒山麓公園まで。「とうろうゲート」出発(10:30)で、くさか園地からぬかた園地まで。約7KM

まさにオン・シーズン。老いも若きも保育園児もアジサイ祭りでワイのワイでした。
梅雨の晴れ間が幸いしました。

(13:00)
 七段花(Shitsidankw’a :しちだんか)
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山道が苦手な「山の神」が一緒なので、額田まで降りるのはムツカシイと思い、管理道を暗峠まで。峠の手前で
慈光寺から裏山を通ったため、ひともんちゃくがありましたが、なんとか到着。(14:10)

コミュニティバスの時刻表は15:25発。1時間待つうちに里まで降れるので、歩き出してしまいました。
「待っとけば良かった。」

 生駒の里も山も、里山というか、棚田というか、農業そのものの荒廃が加速しているのを実感しました。
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ラッキーガーデンで小休止。風がある分助かりましたが、なにせめまいはするし、なさけないことです。
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2012.03
21


22:29
Category : 翁と媼_大阪
いいお天気なので、足を伸ばして富田林のかんぽの湯まで遠征。
いつ見ても、違和感のあるモニュメントだなあ。
高さ180mの「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」。

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女性風呂は団体客で混雑し、生憎でした。

金剛山を望む。
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藤井寺市立道明寺東小学校さまのHPからの無断借用です。

道明寺線・長野線の誕生
 1896年(明治29年)3月、柏原・長野間の鉄道敷設を目指して、地域の有力者たちが中心となって河陽鉄道
が創立され、1898年(明治31年)3月に最初の柏原・古市(ふるいち)間が開業しました。これが、今日の近鉄道
明寺線の始まりです。
 翌4月には富田林(とんだばやし)まで延伸しますが、その時点で早くも河陽鉄道は経営危機に陥り、1899年
(明治32年)に新たに設立された河南(かなん)鉄道が事業を買い取ることで再生を図りました。
 富田林・柏原間の鉄道開通によって、南河内地域から柏原を経て大阪の街へ鉄道で行けるようになるとと
もに、道明寺天満宮などの寺社への参詣客や観光客を誘致できることにもなりました。
 1902年(明治35年)12月には、やっと長野まで延伸して高野鉄道と接続することになります。現在の近鉄長野線の誕生です。


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帰りの所要時間は、道明寺線、JR大和路線の連絡も良く、思いの外早く戻れました。

送迎バス
   16:00発 約20分
●富田林
|    近鉄長野線(準急) 大阪阿部野橋行 6分
↓古市(大阪)
|    近鉄南大阪線(準急) 大阪阿部野橋行 2分
○道明寺
|    近鉄道明寺線(普通) 柏原行 4分
○柏原(大阪)
|    JR関西本線(普通) 奈良方面
|      [大和路線]
2012.03
08


22:13
Category : 翁と媼_大阪
思いつきで石切まで。

生駒ー石切・・・額田駅・・・枚岡神社・・枚岡駅ー生駒

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鹿は鹿島神宮の祭神・武甕槌命に由来するものである。タケミカヅチとフツヌシは出雲に出向き強談判の末、オオクニヌシに国譲りを承諾させることに成功するという役回りで登場する神であるが、春日大社の社伝では、鹿島神宮から春日大社へ勧請した際、タケミカヅチは白鹿に乗ってやって来られたそうな。それで、奈良では鹿を神の使いとして大事にしているのであるが、「なで鹿」もそれと同様のものでありますな。

なで鹿の居る前は広場になっていて、鞠場になっている。蹴鞠をする場所でありますな。秋の祭では近郷の集落から繰り出した太鼓台がここに立ち並ぶのでもあります。


<オッサンぎゃぐーなでしかじゃぱん>

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2011.05
17


20:31
Category : 翁と媼_大阪
薔薇 読めても、アホな私には書けない漢字。
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つるブルー・ムーン
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歩いて、大阪駅まで。新しい駅ビルを見学して帰りました。この、田舎者め!

「うつぼ公園」
面積:9.7ha(約3万坪:単位の換算(面積)
かつての大坂随一の魚市場、雑喉場魚市場(ざこばうおいちば)および靱塩干魚市場の跡地にあたる。
雑喉場魚市場は大阪湾などからの鮮魚を一手に扱い繁盛し、
海部堀川(第二次大戦後埋め立て)沿いの靱塩干魚市場は干物や肥料にする干鰯などの海産物を全国から集めていたが、
1931年の大阪市中央卸売市場の開場後に両方とも閉鎖され、
1945年の数回の「大阪大空襲」で廃墟となった。
戦後、占領軍に接収され、占領軍の常用飛行場となった。
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1952年の講和条約発効をもって大阪市に返還され、靱公園として整備された。
東西に細長い形をしているのは滑走路跡地であることによる。大きな木が多数植わっており、都会のオアシスである。
また、公園西側の大部分を占める靱テニスセンターでは、世界スーパージュニアテニス選手権大会など国際的な大会も行われている。
かつては靱蹴球場というサッカー専用グラウンドがあったが、テニスコートの拡大に伴い、現在は閉鎖されている。
2007年頃までは公園内にホームレスがブルーシート等を資材としてテント・小屋掛けをしていたり、公園東部の林の中では若者や家族連れがバーベキューをしたりしていたが、公園管理者による管理徹底によりこれらの行為は最近ではあまり見られない。

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